二十一世紀中でも、戦後六十余年間の科学技術の進歩は著しく、その影響は医学医療の世界にも及んでいる。
 それによって克服された病気は多く、信長の時代、人生五十年といわれた、かつての日本人の寿命は今や八十年に達している。
しかし、医療に対する国民の信頼はどうであろうか。

 二十世紀の科学は主として分析的手法を駆使して進歩してきた。
分子レベル、遺伝子レベルで病気の成因を解明しようとしている研究が進み、それが研究の主流をなしてきたようにみえる。
 研究者の発想は自由であるから、そのことが何の役に立つのか、どのような副作用(弊害)を生じるかに関係なく研 究が進められる可能性もある。
 最近になり科学がひとり歩きを始め、必ずしも人類を幸福にするとは限らないとの認識が出てきたのはそのためだ。
その最たるものが原爆であろう。

 医学的にみると、遺伝子操作によるクローン人間があてはまる。
そこには、危険性をはらんでいる事も認識せねばなるまい。
「光強ければ陰もまた濃し」とでもいうのだろうか。
 その歯止めのため生命倫理、医学倫理が問われる時代となり、生命科学という従来の枠を超えた学問の領域が展開しつつある。

 半面、「ホスピス医療」も時代に沿った大切な治療と言える。
病気は治っても病人がよくなるとは限らないこともあるし、病気はよくならなくても医師や看護師の言葉掛け次第で病人は元気づけられることもある。
研究は病気を対象にしているが、医療はあくまで、病人のための行為を意味しているのではなかろうか。

 近年は、根治し難い慢性の病気、あるいは検査ではじめてわかる無症候性の病気が増えており、二十一世紀の医療は恐らく、それらへの対応が今以上に重要になると思われる。
患者さんに役立つ医療の姿が、今後一層きびしく問われるに違いない。
 Quality Of Life(生活の質)がしばしば医療の世界で話題になるが、QOLを測定できる機器は存在しない。
機械に人間は診られない。

 半面、ロボテクサージェリーといって、遠隔操作によって人間ではとても出来ないような細かい部分の手術も出来るようになってきた。
また、光ファイバーを使い、米国の有名な外科手術の名医が、米国にいながらにして日本の患者さんの手術を出来るような時代でもある。
 患者さんをよくみ、よく知ることが評価の唯一の手段であるが臨床医はミクロの世界ではなくマクロの世界にすむことが要求されるし、ヒトの生命や生活もまたマクロの世界のものと理解すべきであろう。

「もういいよ そんなとこまで ヒトゲノム」