遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今回は古川柳の話です。  川柳には現代川柳と古川柳に分類できるが私は江戸時代のいわゆる古川柳が好きである。仕事の関係上、医療に関したものに特に興味が引かれる。  医者(昔は薬師とも言った)というものは、批判やからかいの対象になっていて、それは今も昔もまったく同じである。古川柳の中でも医療の権威に見えるものを、皮肉っているものがたくさんある。  「薬礼の時はこっちがヒ(さじ)加減」  昔は医者への支払い(薬礼)は今のように保険制度で決まっている訳ではなかったから、医者が患者の懐具合を見ながら請求したり、患者の方の匙加減があるというのである。私の祖父も内科の医者をしていたが、父から聞いた話ではそのころでも患者さんが「ツケ」で受診、後になってから米や野菜で支払いに来たというようなことがあったそうである。明治は遠くなりにけり。  「礼もせぬくに藪医のなんのかの」  これは医者の反論である。診療費(礼)も払わぬくせに藪医者だのかんだと言うな、という訳である。  「証文をしまって外科は針を出し」  治療の結果どうなっても文句は言わない…と患者さんに一筆書かせてから、外科医が治療を始めると解決できる。  江戸時代にも手術の際同意書や承諾書を書かせる風習があったことを窺わせる貴重な歴史の資料と評価できる。その時代にいわばインフォームドコンセントという概念があったことに驚かされる。  「玄関で腹を立たせる流行(はやり)医者」  評判の良い名医には患者が殺到するから必然的に待ち時間も長くなる。中には「いつまで待たせるんだ」と怒鳴り出す短気な人もいたようである。  「流行医者世辞軽薄の二味加え」  評価の良い医者は診療の技術が優れているだけでなく、お世辞や冗談も交えながら患者の心を和ませる巧みな話術の持ち主でもある。  「代脈は何をこいつの気で見せる」  代脈というのは、偉い医者の代理をする医者である。患者にしてみれば「こんな若造に何がわかるのか」という気分である。  「べろべろも一味加える子供医者」  小児科の先生は診察には大変苦労する。ベロベロバァも診察を助ける一技術である。  以上、医療技術の進歩は目覚ましいが、人間はそれほど進歩していない事がよく分かる。逆にそういういつの時代にも通じる川柳が良い川柳なのだと思う。  私も今年で四回目の干支を迎えることができた。亡き両親に感謝。  「猛進ができて周りに感謝する」