さて、今回で三回目となる「医師にかかる十ヵ条」は、これが最後です。

?治療効果を上げるために、お互いの理解が必要
?よく相談して治療方法を決めましょう
?です。

 私も医師となり二十四年経ちますが「先生に命を助けて頂きました。
神様のようです」とおっしゃって下さった患者さんがいました。
医師にとってこれほど嬉しい言葉はありません。
 
しかし、当然の事ですが我々医師は神様でも仏様でもありません。
皆さんと同じ、一人の人間です。
よく患者さんに私か風邪でマスクをしていると、「お医者さんでも風邪をひくんですか?」とまじめに言ってくる方がいますが、あたり前の事です。
風邪にもなれば難病をわずらう事もあろうし、当然医師でも癌になり死ぬ人もいます。

 私はそのような他の医師を見た時には「医師の不養生」などとは決して思いません。
恐らく忙しすぎて自分の体を顧みる余裕などなく、患者さんのために尽くしきっておられたのだろうと想像します。

 今回は医師の愚痴にも聞こえるかもしれませんが、あえて言わせていただきたいと思います。
「医師は何でも知っている」とお考えなら、それは大きな間違いです。
人間の体は複雑で不確実なのです。

 病名が同じでも、人それぞれで容体は違っているのです。
神様のように100%確実ではないのです。
十人十色、千 差万別、だから医療は難しいのです。
決して、責任を逃れようとして言っているのではありません。

 そこで大切な事は何かと言うと、患者さん自身がまず自分の病気と向き合う事だと思います。
よく昔から「自分の体は自分が一番よくわかる」と言います。
体の状態に一番詳しいのは、医師ではなく、自分自身だという自覚を持ってほしいと思います。

 十六世紀にフランスの外科学の父と呼ばれたパレという医師の言葉が印象的です。
「我処置し、神が癒やし給うだ」。
つまり我々医師のできる事は、なかなか階段を上れない人を後ろから少し押してさしあげ、片方の足を持って一歩上がらせる事ぐらいのことしかできないと言う事です。

 最新の治療法や病院情報などは新聞、雑誌、特に今はインターネットで検索すると色々な病気がすぐわかる時代になりました。
むしろ患者さんから教えられる事もしばしばです。

 ただの人間である私が他人の命を左右する立場に立って感じる重圧と責任。
むしろ怖くなる事さえあります。
大切な事は先にも書いた、治療効果を上げるためにはお互いの理解と、よく話し合って二人であるいは家族も含め皆で話し合って決めて行く事だと思います。
勿論、最後は「医師の判断」と「患者さんの決意」が一致すれば最高です。
本年も読者の皆さんには、むしろ私の方がたくさん励まされました。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。

「決断と決意の中にある光」