新年明けましておめでとうございます。
さて今回は、ちょうど私が医師となり三年目の、千葉にある某大学付属に勤務していた時代の出来事である。

とある日曜日の夜、緊急手術を終え宿直室に戻ると電話がけたたましくなった。
夜の九時、また緊急の手術かと頭をかすめ、緊張の面持ちで受話器をとった。
 その向こうからAナースの怒りでふるえる声が私の耳を直撃した。
「担当患者さんのご家族とご本人が、今日の夕方七時から先生の今度の手術のお話があるという事で三時間もお待ちですが」 当時の私は駆け出しの消化器外科医で、毎日の激務に追われ超多忙を極めていた。

 電話を受けた時は、石で頭をなぐられたような衝撃であった。
今まで一度たりとも、どんなに疲れていようとも患者さんとの約東を忘れたことはなわったからである。
しかも、待たせていた患者さんは、四十代の働き盛りの胃がんと告知を受けた男性とその奥さん、そして小さな二人の娘さんたちであった。
 もう出る言葉もなくただただ「本当に申しわけありません」。
深々と頭を下げて謝った。

 すると、どうだろう、患者さんは怒るどころか私に向かってこう言った。
「毎日一生懸命やっている先生だからこそですよね。待っている時間なんて、全然気になりませんでしたよ」
その奥さんは夫につきっきりで看病しており、朝から私の行動を病棟から見ていたのである。
患者さんからこのような心温まる言葉をかけてもらったことなど初めてだった。

 患者さんとの話が終わり、カルテを書いていた私の所に先ほどのナースが来て言った。
「今日はお疲れさまでした。
実は私も、以前に先生のような失敗をしたことがあるんです」と話が続いた。
すると、一冊の手帳をポケットよりとり出し見せてくれた。

その中には、患者さん一人一人のこと、検査のこと、点滴の時間など約束ごとが無駄なくびっしりと記載されていた。
 「先生、手帳もうー冊ありますから明日もってきます」 もっとも、そのナースが僕に教えたかったことは、そして言いたかったことはきっとこういうことだったのだろう。
「いくら忙しくても、大切な患者さんとの約束ごとを忘れてはいけません。
なぜなら先生にとって患者さんはたくさんいても、その患者さんにとっての主治医は、たった一人なのですから」と。

 元日の朝、真新しい手帳を手にすると当時のことを思い出し、初心に帰り、心が引き締まる。
今年はどんな患者さんと出会い、どんな約束ができるか楽しみでもある。
一冊の手帳は、私の医師としての原点であり、また、心の歴史でもあり、これからも大切にしていきたい。
開業してからも忘れることなく、今年で二十冊目となる。

 本年も皆さまにとって良い年でありますように。