モンペをはいた年配の女性が「毎日便が十分に出ず時折血便もあります。
夫は非常に気難しい人ですのであらかじめ先生にその旨を申し上げて往診をお願いに参りました」と、待合室で看護師に告げている。

 忘れ得ぬ人との出会いは開業して間もない十年前、こうして始まった。
住所と姓名を聞き、午後一番の往診を約束した。
昼休みを利用してどんな患者さんだろうかと色々考え車で自宅に向かった。

 座敷に通されたが、その方は正座した大柄な白髪の目立つ人であった。
一応のあいさつがあった後、その患者さんは唐突にこう切り出した。「先生には突然で申し訳ないが、死亡診断書をお願いします」と。
その方の真剣な鋭いまなざしに驚いた。すでに死を予感していたのであろう。

 診察の結果は直腸癌が予想されたが、その結果については本当のことを申し上げなかった。
ただ大きな病院に紹介申し上げると言って辞去したが、一週間後病院の医師から連絡が入った。
直腸癌で全身転移があり手術無効との返事であった。
数日で退院、自宅療養となったが、疼痛が激しく、鎮痛剤の持続投与が必要であった。
私は疼痛除去へのできる限りの治療を行った。

 「先生、モルヒネ以外栄養注射はいりません。アンプルは私に見せてから切ってください」と言われ、私はどきりとした。
「私の今の疼痛を除く努力のみをお願いします。死後いくら弔われてもそれは無駄です」。
従容として死につく悟道の人としての心境を吐露されて、かえって治療上、やりにくいこともあった。
非常な潔癖家で小用のたびに局所を清拭し、尿瓶の使用は許さなかった。

 奥さんと三人のご子息の不眠不休の看護が続いた。
お父さんの好きな物を食べさせようと深夜も厭わずそれを手に入れるために八方に飛び、しかし一口しか食べられない父親の衰弱に涙した。

 亡くなる前夜、私は隣室で「おれは明日死ぬ。お前を残して死ぬわけにはいかぬから一緒に死んでくれ」と奥さんに言われるのを聞いた。
奥さんは「未完成の子供三人を一人前にして私はあなたのもとに参ります。それまでは死ねません」と答えていた。
「そうかお前には世話になった。世界一の女房と思っている。お前の骨と一緒に埋まるまでお前の前に俺の骨は置いておけ」
と苦しい息遣いでの会話が交わされ、翌日の午後、その方はこの世を去った。

 人間はこうも立派に死ねるものだろうかと私は感動した。
その方の遺言で、死後慰労の席に呼ばれたが、食物は喉を通らなかった。

 医療を通して私は色々な患者さんに人生の在り方について教わる事が多く、今でも心の支えとなる言葉を繰り返して、かみしめていることがある。
「死ぬ人はうそは言わぬ。聞く耳を持ってほしい」。
その人の最期の言葉であった。

「父の背を流したように墓洗う」