先日、一冊の本を手にした。
「歳時記」である。
そこにはさまさまな人間の営みに関連した季語が載っている。

 現代は科学技術の進歩により、特殊な光や化学肥料など、またハウス栽培などにより、春夏秋冬を問わず、ありとあらゆる植物や果実が作られている。
「季節感」というものが薄れつつある。

 例えば「イチゴやミカンは一年のうちでいつごろ、作られるのか?」と子供に質問をしたら、果たして何人が正確に答えられるだろうか。
この本の中には、長い年月の間に定着した人々の季節感や美意識が盛ってある。

 例えば晩春のころならば「蜃気楼」「初雷」、生活では「苗床」「蕨狩り」。
地域によっては「お水取り」そして「草餅」も忘れてはなるまい。
動植物のほか、季語は大自然の営みをわれわれ人間に教えてくれる。

 進歩したバイオテクノロジーを応用した動植物に接する機会が多くなりつつあるが、自然に逆らうことなく、また、生態系を乱すことなく、四季折々の生物と共存していくことが大切だと思う。
「歳時記」がそのヒントを与えてくれるだろう。

 話変わってダイエットに目を向けてみよう。
人間はいま「本末転倒」を地でいっているのではなかろうか。
ダイエットの概念は、いわば一刻の削減の問題と似ていると思う。

 人間は何と浅はかな動物であろう。
人を殺すために核を製造し、そして今度は自分たちを守るために、作った以上のばく大な費用をかけてそれらを破壊する。
そしてそれらが地球的規模の環境問題にも発展する。

 これだけ増えた車にも同じことがいえる。
いま我今は本質を見失っているのではなかろうか。

 ダイエットも同様で、文明国では一つの問題となっている。
決して食べないことがダイエットではない。

 一見、この二つの事柄はまったく関係のないことのように思えるが、根底では密接に閲係していることに気付く。
日本人が古来よりの伝統的な食生活をしていれば、何もかしこまって肩に力を入れずとも、いわば歳時記に沿った食生活をすれば、それこそ自然にダイエットができるのではないか。

 それは何も欧米型の食生活を否定するものでもなく、肉や油もバランス良く取ればさらに効果的な体力や体質をつくり上げることができるとも思う。

 我が国の平均寿命は戦後の食生活の改善や医療の発展により飛躍的に伸び、今や世界一の長寿国にまでなった。

 必要最小限のものをバランスよく食べ、原則を守り正しい食生活を送っていれば、何も苦しむことはない。
しかし、それらができないところに我々人間の弱さ、いや、やさしさがあるのかもしれない。

「グルメより お金をかける ダイエット」